東京高等裁判所 昭和46年(ネ)1211号 判決 1979年3月28日
控訴人
郡司綾
右訴訟代理人
浅野伊三郎
被控訴人
東野松雄
外四名
右五名訴訟代理人
増田弘
主文
一、本件控訴を棄却する。
二、控訴費用は控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
本件につき更に審究した結果、当裁判所も控訴人の本訴請求をいずれも棄却すべきものと判断する。その理由は、左記のとおり訂正、付加するほか原判決の理由と同じであり、当審において新たに提出、援用された証拠を参酌しても、原審の認定、説示は左右されないので、右の原判決の理由をここに引用する。
一原判決六丁裏一〇行目の「本件土地につき」から同末行の「登記がなされたこと、」までを、「本件各土地につき、請求原因一記載のとおりの買収処分、売渡処分のなされたこと、昭和二五年四月五日、右売渡処分に基づく所有権取得登記がなされたこと、」と訂正する。
二同七丁表一〇行目の「旨主張し、」から同一一行目の「有効である」までを削除する。
三<省略>
四同八丁表一行目の「昭和一二年一一月二日」から同六行目の「ようになつたが、」までを、「その頃同建物を出て石岡町金丸に世帯を持ち、昭和一二年一一月二日入夫婚姻の届出をし、昭和一四年頃から昭和三〇年頃まではその夫の勤務先に近い茨城県新治郡牛渡村牛渡上郷に居住し、同年頃から同所牛渡にある中学校の小使室に住み込み、昭和三五年頃まで同所に居住し、同年頃からは肩書住所地の南中学校小使室に居住して現在に至つていること、控訴人は墓参りの際等の外には帰郷することも少なかつたので、控訴人が昭和一一年頃同建物を出てからは、右功において本件各土地を一切管理、使用し、控訴人もこれを承認していたこと、控訴人が同建物を出てから間もなく、右功は一人で同建物に住むようになつた(功は昭和六年につると婚姻し、その間に一子和美をもうけたが、昭和九年五月つると協議離婚し、当初同建物に和美と二人で住んだが、間もなく和美を親戚に預けた)が、」と訂正する。
五同一一行目の「右功は」から同丁裏三行目の「申立てなかつたこと、」までを、「右功は、肺結核のため水戸市の日赤病院に入院し、入院後一年位経つた昭和一七年九月一七日同病院で死亡したが、入院するに際し、亡常松に、同建物は自分のものだがこれについても一切任せるからいいように使つてほしい、と言い残したこと、そこで亡常松は同建物のうち毀れかかつていた居宅の屋根、縁側板等を修理した上、昭和一七年頃同居宅を訴外川崎晋に賃貸し、同人又はその子川崎義方が昭和二八年頃まで同居宅に居住したこと、また亡常松は昭和二二年頃から約一年間同建物のうちの倉庫の一部を訴外森作順子に賃貸したこと、亡常松の前記のような本件各土地の使用状態は本件買収処分のなされた昭和二三年当時まで続いていたこと、控訴人は亡常松の右のような本件各土地の使用状況及び同建物の利用状態を知悉しながら、これに対し異議等を申立てなかつたのみならず、かえつて亡常松に対して同建物の修理等を依頼したことのあること、」と訂正する。
六同四行目の「原告本人尋問の結果」を、「原審及び当審における控訴人本人の各供述、当審証人追田正美の証言」と訂正し、同一一行目の「二三日死亡し」の次に「、同日家督相続により控訴人が本件各土地の所有権を取得し」を挿入する。
七同九丁表三行目の「亡常松は」から同七行目の「いうべきである。」までを、「控訴人は本件買収処分当時亡常松に対し、控訴人において管理使用一切を任せていた控訴人代理人ないしは管理人たる功を通じ、本件各土地につき使用貸借による権利を与えていたものと認めるのが相当であり、従つて、本件買収処分は、この点につき瑕疵のあるものではなく、この点の控訴人の主張は採用し難い。」と訂正する。
八同九丁表八行目の「もつとも、」から同丁裏一一行目の「免れない。」までを左のとおり訂正する。
「次に、本件各土地上に控訴人主張の控訴人所有名義の建物が存在したこと、同建物につき前記のような買収及び売渡処分がなされなかつたことは当事者間に争がなく、また前記各証拠によると、控訴人が前記の家督相続により本件各土地とともに同建物の所有権を取得したものであることが認められる。従つて、同建物を除外し、その敷地たる本件各土地のみを対象とする買収処分は、自創法一五条の趣旨に反するとともに、控訴人からその所有する同建物をその敷地上に存置する権原を奪う不当な結果をもたらすものであつて違法であり、この点において本件買収処分には瑕疵がある。しかしながら、同時に右各証拠によれば、同建物は当時すでに相当に老朽化し早晩取毀さざるをえない程度に著しく傷んでおり、終戦直後の住宅払底の折に応急修理により辛うじて人が居住しうる程度のもので、建物として殆ど価値のないものであつたことが認められ、これを左右すべき証拠はなく、このことを考慮すると、右瑕疵が重大かつ明白で本件買収、売渡処分を無効ならしめるものとみることは未だできず、この点の控訴人の主張も結局理由がない。
進んで、右各証拠及び本件弁論の全趣旨によると、本件買収、売渡処分当時、亡常松は主として農業を営み、控訴人所有の田畑を小作し、副業として建築請負をしていたことが認められるから、同人は、本件各土地の附帯買収申請をするにつき、その申請適格に欠けるところはなく、この点の控訴人の主張も理由がなく、右各証拠及び本件弁論の全趣旨によると、亡常松は自創法の規定により昭和二二年一二月二二日に同町串挽字大川渕二、〇一三番田一反一畝二七歩等の解放農地の売渡をうけ、これらの農地における農業経営上本件各土地が必要であつたことを認めることができるから、本件買収申請が相当でないとはいえず、この点の控訴人の主張も採用できない。
右のとおり、本件買収、売渡処分は無効なものといえないから、これらの無効を前提とする控訴人の本訴請求はこの点ですでに理由がなく、失当として排斥を免れない。」
以上の次第で、控訴人の本訴請求は理由がなく、これと同趣旨の原判決は理由であつて、本件控訴は理由がなく失当として棄却を免れない。
よつて、民訴法第三八四条、第九五条、第八九条に従い主文のとおり判決する。
(外山四郎 海老塚和衛 鬼頭季郎)
<参考>原審判決
(水戸地裁昭四〇(ワ)第一四九号、建物収去、土地明渡等請求事件、昭46.3.31判決、請求棄却)
〔理由〕
本件各土地につき、昭和二三年七月二日被告松雄、同常雄の父訴外亡東野常松に対し、自創法二九条による売渡がなされ、昭和二五年四月五日、その旨の所有権移転登記がなされたこと、本件第二ないし第四の各土地は当初一筆の土地であつたが、昭和三五年五月一六日分筆されたこと、亡常松は同日被告菅原に本件第三の土地を、被告塙に本件第四の土地を売渡し、いずれも同日付で所有権移転登記がなされたこと、亡常松は昭和三八年三月五日死亡したので、同日その子である被告松雄が本件第一の土地を、被告常雄が本件第二の土地をそれぞれ相続により取得し、昭和三九年五月一三日その旨の所有権移転登記を了したことは当事者間に争いがない。
原告は右売渡処分は無効であるので、亡常松は本件各土地の所有権を取得せず、従つて、前記被告等も何等その所有権を取得しない旨主張し、これに対し被告等は亡常松は本件各土地につき賃借権または使用借権を有していたので右売渡処分は有効である旨主張するので考えるに、<証拠>を総合すれば、本件第一の土地はもと原告の父訴外亡郡司静雄の所有であつたが、大正一三年二月二三日死亡により長女の原告が家督相続によりその所有権を取得したこと、本件第二ないし第四の各土地はもと原告の祖父訴外亡郡司静雄の所有であつたところ、大正五年三月一八日同人死亡により、その長男である右亡静雄が家督相続により、その所有権を取得し、同人の死亡により、長女である原告が家督相続によりその所有権を取得したこと、本件各土地上には原告の叔父訴外亡郡司功所有名義の原告主張の如き居宅および倉庫(昭和一七年九月七日原告の所有名義となつた)があり、原告家において代々同建物に居住して来たが、原告は昭和一一年四月に訴外根食義光と結婚し、昭和一二年一一月二日入夫婚姻届を了したところ、昭和一四年原告夫婦は同建物を出て夫の任地を共に渡り歩き、帰郷することも少なかつたので、原告が同建物を出てからは本件各土地は右功において管理使用し、原告もこれを黙示的に承認していたこと、原告が同建物を出てから間もなく、右功は唯一人でそこに住むようになつたが、元来病弱なのと確たる職業もなかつたところから、生活に窮し、近隣に居住していた訴外亡常松より衣食の給付を受け、身辺の世話までして貰うようになつたこと、右功はその謝礼の趣旨で亡常松が本件各土地を無償で使用することを承認し、同人は本件各土地上に農作業場や豚小舎、牛舎を建築し、または肥料作りや芋の苗作りに使用したりなどして来たこと、右功は昭和一七年九月一七日死亡したが、右のような亡常松の本件各土地の使用は本件各土地に対する自創法一五条による買収処分がなされた昭和二三年当時まで継続していたこと、原告は亡常松の右の如き使用状況を見聞しながら、敢えてこれに異議を申立てなかつたこと、以上の各事実を認めることができ<る。>
右認定したところによれば、亡常松は前記買収処分当時本件各土地につき使用借権を有していたものと認めるのが相当であるから、右買収処分は適法、有効であり、従つて亡常松は自創法二九条による売渡処分によつて本件各土地の所有権を有効に取得するに至つたものというべきである。
もつとも、本件各土地上には原告主張の如き原告所有名義の建物が存在し、それにつき前記の如き買収および売渡処分がなされなかつたことは当事者間に争いがないのであるが、<証拠>によれば、右建物は極めて古く、前記買収、売渡当時は甚だ朽廃しており、終戦后、人が修理の上辛うじて居住していたこともあつたが、殆んど建物としての用に堪えないような状態であつたことが認められるから(右認定に反する原告本人尋問の結果はにわかに措信し難い)、このような事情を考慮すれば、右建物についても本件各土地と同様に買収、売渡処分がなされなかつたことは、かりに違法であつたとしても、これを無効ならしめるものではないというべきである。<以下、省略>